■手がかりは前方後円墳にあり

 歴史学で重要視される“記紀(古事記と日本書紀)”が編纂されたのは、700年代初頭。約300年のタイムラグがありますから、言い伝えとしても十分に残っていなかった可能性は十分にありえますよね。

 また、記紀は、大和王権から天皇家へと続く歴史を中心にまとめたものです。そのため、大和王権とは異なる勢力や、各地の民族の物語が、同じ比重で記されているとは限らない。

 大和にとって扱いにくい出来事や、敗れた側の記憶が、表舞台から消えてしまった可能性も十分にありえます。歴史とは、勝者に都合よく書かれるものです。

 では、空白の150年を知る手がかりが、まったく残ってないのかというと、そうではないようです。

 前述の通り、この時代の日本は大和王権が誕生したと考えられています。その証拠が、全国各地で次々と築かれるようになった、巨大な前方後円墳です。

 それまで各地で造られていた墓の形や規模は地域によってバラバラでしたが、この時代になると、似た形や造りの前方後円墳が全国へ広がっていきます。つまり、大和が、各地の豪族に同じ形式の古墳を造らせるほど、強い影響力を持つようになったということです。