■「将門塚」にドロップキックして仕事が激減した太田光
前出の吉田悠軌氏によると、1976年に「将門の祟り」の都市伝説が定着したという。
「1960年代も大手町のサラリーマンの間では“将門の祟り”が都市伝説として伝わっていて、隣接するビルには塚に尻を向けないように座席を配置している会社もありました。
76年、将門を主役としたNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』が放送されたことをきっかけに、複数の雑誌が大蔵省やGHQに起きた“将門の祟り”を紹介。大手町のローカルな都市伝説が全国に広がったんです」
「将門の祟り」は1000年前から現在の形で伝わっていたわけではなく、複数の事件が1976年を境に“ひとつの物語”として再編集されたのかもしれない。
平成に入ると、「将門塚の祟り」は芸能界にも影響を及ぼした。1990年、爆笑問題の太田光がテレビのロケで「将門塚」を蹴ると、3年にわたってテレビの仕事が激減した。
「実際には、この頃に爆笑問題が太田プロダクションから独立したことで、しばらく干されていました。
2020年7月、太田は自身のラジオ番組で当時のことに触れると、迷惑行為で逮捕されたユーチューバーのへずまりゅうと比較して、“俺は地上波でやっているから”と笑い飛ばしています」(芸能ライター)
「将門塚」の下に前方後円墳があったことから、「古墳に葬られた豪族による祟りではないか」と主張する者もいる。
「関東大震災後の取り壊し工事の際、墳丘の中から盗掘に遭った形跡のある石室が現れたそうです。盗掘に遭ったようで、棺や骨壺は見つかりませんでした」(前出の夕刊紙記者)
将門は、ただ「怨霊」として扱われているわけではない。東京の神田明神では、将門が江戸の守護神として祀られている。「怒らせてはいけない恐ろしい存在」であると同時に、「強力な守護神」でもあるのだ。
「将門に対して、日本人は“恐れ”と“敬意”が共存しているんです。たとえ事実でなかったとしても、“将門の祟り”は日本人のアイデンティティとして、これからも語り継がれていくことでしょう」(吉田氏)
仕事運に御利益があるといわれている「将門塚」を一度、参拝してみては?
吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
早稲田大学卒業後、ライター・編集活動を開始して伝説の怪談同人誌『怪処』を自主制作。以降、怪談・都市伝説研究家として、月刊『ムー』に考察記事をレギュラー執筆。実話怪談の語り手として怪談イベントに登壇するほか、TBS系の人気番組『クレイジージャーニー』で禁足地や信仰文化を案内するなど、各種メディアにも出演。『ジャパン・ホラーの現在地』(集英社)、『現代怪談考』(晶文社)、『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)など著書多数。