■ジャニー氏が次期社長に指名していたのはI氏だった
国内で高い人気を誇り、“ポスト嵐”として活躍を続けてきたキンプリ。彼らがトラジャのように海外に拠点を移してしまえば、同じようにファン離れが進み、“担降り”してしまう人も出ていただろう。
「経営者としては、そんなことさせるわけにはいきませんよね。だからこそ、ジュリー氏はドラマや映画など、国内市場を重視しているのではないでしょうか。ただ、平野さんたちからすれば“小さくまとまっている”と感じ、不満を抱くのも仕方がありません。当初、ジャニー氏から言われていた話と違い、会社都合でやりたいことができないわけですからね。
キンプリの海外進出が許されなかったのは、突き詰めれば“夢を実現したかったジャニー氏”と“経営者として現実路線をとるジュリー氏”の“親族バトル”と言ってもいいのかもしれません。
ジャニー氏は姪のジュリー氏ではなく、元SMAPチーフマネージャーのI氏のほうを買っていたといい、ジャニー氏とジュリー氏は同じ“創業家”でありながら“確執”があったともいいますよね」(前出の芸能プロ関係者)
SMAPを国民的グループへと育てたI氏の手腕を高く評価していたジャニー氏は「次の社長は絶対にI。Iしかいない」と話していたといい、基本的に女性スタッフと話をしないジャニー氏が、唯一コミュニケーションを取っていたのがI氏だったと、2019年7月の『文春オンライン』が報じていた。
「キンプリが海外進出できなかったこと、平野さんたちの退所が行きつく先は、ジャニー氏とジュリー氏の創業家の対立だったのかもしれませんね……」(前同)
ジャニー氏とジュリー氏の確執が時を経て、キンプリを分裂させることになったのだろうか――。