■勤務先で暴れる不良に困り果てた高知さんは……
幹部連中を連れて何人かで売り場で物を壊したり暴れ始めたりして、“これ、やべえな”と思って初めて親父にSOSの電話をかけた。10分もしないうちに何十人もブワーって来て、暴れていた不良たちをどこかに連れていったんです。
そこで初めて大丸の人たちが“お前何者なんだ”ってなってしまって。結局その後1年弱くらいで大丸は辞めたんですけど、もっとバレちゃうのが、親父がフロアのスタッフ全員に寿司を差し入れした上、親父自身が20人近く引き連れてスーツとかを買いに来るようになって。他の売り場でスーツを買ってるのに俺を呼び出して、俺にスーツのお直しとか頼んでくる。
ー2016年に麻薬取締法違反で逮捕されて以来、ご出身である地元に戻るのが怖い、とおっしゃっていましたが、今回、出版を記念したサイン会では晴れ晴れとした気持ちで帰省することができましたか?
晴れ晴れどころか、大はしゃぎでした(笑)。でもそんなふうに思えたのは、今振り返ってみれば生まれ育った高知が大好きだって気づいたから。当時は、親父だと思ってた人は親父じゃなかったことを知って苦しくて。でも今更周りには"実は親父じゃなかった”と言えない。そういう環境の中で自分が苦しんで高知を離れました。
そしてまた月日が流れたら自分のやってしまったしくじりで高知に行きづらくなって……。自分は"高知東生”って芸名で、”高知"を使わせてもらっているのに、やっぱり俺はこういう人生か……みたいなことを考えました。それも含めて"生きてていいのかな”、"人生どこで終わるかわからなかったけど、終止符はやっぱりこういうことなのかな”と思ってた。